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  2007年2月7日

歴史を動かした人々の町
・『萩』・
徹底ウォーク


大阪南港20:00発 船中泊・新門司港8:00 萩9:30着         0
東光寺松陰墓所玉木文之進旧宅伊藤博文旧宅同別宅松下村塾松陰神社
萩焼会館(見学と昼食萩城跡旧厚狭毛利家萩屋敷長屋口羽家住宅堀内鍵曲り
高杉晋作誕生地豪商・菊屋住宅跡木戸孝允「桂小五郎」旧宅円政寺萩往還
天樹院(毛利輝元公墓所)萩城址・指月公園志都岐山神社詰城跡登山(標高143m)
萩17:00 壇ノ浦P・関門海峡→新門司港80:00発 船中泊→大阪南港


萩・旧駅舎
旧萩駅舎は、大正14年に洋館駅の傑作として建築されたものです。
改装では、白壁と縦長の大きな窓が特徴のハーフティンバー(柱が表に露出した構造)が再現されています。
また、建築当時あった、今では大変珍しいドーマー窓 (洋風民家の屋根に見られる小窓) や、電話ボックスも
大正末期の頃の型式に復元されています。館内では、萩の自然や歴史、町の様子を、写真やビデオでわかり
やすく紹介するほか、萩市出身の「鉄道の父」と呼ばれている「井上勝」の業績を紹介するコーナーもあります
また、展示館前の花壇の縁石は、旧新橋駅プラットホームの敷石を利用して造られています。        
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東光寺
毛利家三代以降の藩主を祀る毛利家の菩提寺。500基の石灯籠が壮観です。



吉田松陰&高杉晋作の墓所
ここから萩の町が一望できます。


玉木文之進旧宅



伊藤博文の旧宅&別邸
勿論、伊藤博文は初代内閣総理大臣。別邸は明治40年に江戸から移されたものです。



松陰神社と松下村塾
松陰神社は解体修理中でお参りは仮神殿。
松下村塾は松陰神社の境内にあり、吉田松陰が安政元年から2年半ほど子弟を教育した塾。
幕末から明治にかけて日本をリードしていった、伊藤博文・高杉晋作・山県有朋・久坂玄瑞など
の多くの歴史上の人物を輩出しました。                                0



萩と云えば萩焼



午後はタイムスリップ出来る町、「堀内」を歩きます。
かっての萩城三の丸(堀内)は、その名の通り外堀で区切られた最も城よりの地区で、
萩藩の重臣達の壮大な屋敷が軒を並べていました。今も町割りは江戸時代とほとんど
変わらず、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。             0



旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
萩に現存する武家屋敷の中でも最大のもの、幅5m長さ51.5mです。



口羽家・住宅
家老に次ぐ重臣で、主家と表門が揃って残り、国の重要文化財に指定されています。



高杉晋作誕生地




菊屋家住宅
菊屋家は摂津の国(大阪)住吉大社の、津守摂津守国量朝臣を祖とし、中世期大内氏に随身して山口に住み、同氏滅亡後は武士を捨てて町人となった。その頃、山口四十八町の惣町支配を勤め、永禄十二年(1569年)大友宗麟の後押しで大内輝弘が山口に乱入した時は四十八町の人を連れ、高嶺城にたてこもって防戦に功があり、毛利元就から感状をうけた。また毛利輝元が関ヶ原の戦いの直後、京都伏見から広島へ帰る路銀が不足していることを聞いて急場の難を救ったこともある。このころまでは津守姓であったが、のちに石川姓・菊屋姓に改めた。

 慶長九年(1604年)輝元の萩入国に従い、現在地に屋敷地を拝領して家を建てた。また城下の町割りに尽力し、阿古ヶ浜には藩士や足軽衆のための家を建てて住まわせたので、それより世上阿古ヶ浜を菊ヶ浜と称するようになった。その後、菊屋家は代々大年寄格に任命され藩の御用達を勤めた。

 また度々、御上使の本陣を命ぜられ、その他御究場所・恵民録役所等しばしば藩の御用宅に借り上げられていた。




木戸孝允旧宅
木戸孝允の旧名は桂小五郎。吉田松陰 に兄事し、1854年自費で江戸留学しました
斎藤弥九郎の練兵館に入門、のちに塾頭となりました。
周布政之助・久坂玄瑞・高杉晋作ら攘夷派を指導する一方、藩外の開明派とも親しく
勝海舟 ・坂本龍馬 ・横井小楠 らとの交流も持ち、他藩との折衝役に当り、長州藩の
孤立化を避ける方向で行動していました。                         0



円政寺
月輪山円政寺は真言宗の寺院で、建長6年(1254)山口に創建された大内氏代々の祈願所でありまし。
慶長9年(1604<)頃に山口から移転され、毛利氏の祈願所となった。境内には十二支彫刻の欄間で知ら
れる金毘羅社があり神仏習合の形態が見られる点で貴重な寺である。                   
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伊藤博文が11歳の頃、住職恵運に諭され、読み書きを習い、また高杉晋作も、子供の頃にはよくここで
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遊んだといわれています。                                             
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天樹院〔毛利輝元公墓所〕
毛利輝元の墓所で、輝元と夫人及び殉死者長井治郎左衛門の墓石があり、これらは花崗岩製の
五輪塔形である。ここは 以前、輝元の隠居所である四本松邸があり、死後に菩提寺として天樹院
(輝元の法号)が創建されたが、明治2年(1869)廃寺となり墓所のみが残りました。      
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大照院、東光寺とともに国の史跡に指定されています。                         
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志都岐山神社
萩城跡(指月公園内)にある志都岐山神社。かつての県社で、毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳を
5柱として、初代から12代まで萩藩歴代藩主が祀られています。
天然記念物に指定されている、ミドリヨシノと呼ばれる桜が有名です。




指月公園
萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名・指月城とも呼ばれ、山麓の
平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていました。    
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明治7年(1874)、天守閣、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ
ここ一帯は国の史跡に指定されています。旧本丸跡に歴代藩主を祀る志都岐山神社が創建された際
総面積約20万uの境内が 指月公園として整備された。城跡の構造をよく残していることが特徴で園内
には天守閣跡、花江茶亭、梨羽家茶室、旧福原家書院、万歳橋、東園などの旧跡があり、また県の天
然記念物に指定されているミドリヨシノを始め、600本余りのソメイヨシノが春に咲き誇ります。     
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本日最後の行程は、正面の山(指月山・標高143m)を登ります。
ビルの35階くらいです。
制限時間は40分。半駆け足でのぼります。
頂上には詰城跡があります。



頂上には築城の時の残り石でしようか、大きな石がどかっとあります。
この上が本当の頂上と自己満足。




眼下は萩の町ですが、展望はあまりヨロシクない。茂みをかき分け、
背伸びしてやっとの写真がこれです。



-END−