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2007年3月21日
世界遺産暫定リスト登録
石見銀山遺跡を歩く


泉大津港17:30発 船中泊→新門司港5:30 石見銀山着10:30
石見銀山公園 羅漢寺大森大官所跡(銀山資料館)城上神社食事処おおもり
町並み保存地区散策間歩遊歩道清水谷精錬所跡 龍源寺間歩(坑道見学)
15:30石見銀山発 新門司港20:30発 船中泊→90:00泉大津港


世界的に重要な経済・文化交流を生み出した石見銀山
16世紀、石見銀山では、東アジアの伝統的な精錬技術である灰吹法を取り入れることによって銀の現地生産を
軌道に乗せ、良質な銀を大量に生産しました。石見銀山で用いられた技術や生産方式は、この後国内の多くの
鉱山に伝わり。日本史上まれな銀生産の隆盛をもたらしました。こうして日本で生産された大量の銀は、貿易を
通じて16世紀から17世紀の東アジアへ流通しました。そして、この頃金銀や香辛料を求めて自らの文明圏を越
えて世界に活動範囲を拡げつつあったヨーロッパ人が東アジアの貿易に参入し、東西の異なる経済・文化交流
が行われるようになりました



17:30泉大津港発の阪九フェリーで九州・新門司港に向かいます。
最近のフェリーは豪華になりました。一室四名の部屋にはTVや洗面も完備、
お風呂もヘタな民宿より立派で、夜行バスとは、比べものにならない快適な旅が味わえます。 


21日朝・5:30、中華飯店のような新門司港へ着。船中にて朝食後、直ちにバスで石見に向けて出発です。


新門司港関門海峡中国自動車道→(千代田Jct)→浜田自動車道→(大朝)→R31石見街道石見銀山公園駐車場


石見銀山公園
北の外郭町大森、南の銀山地区の中央に位置、、観光客の駐車場となっています
この公園の隣に羅漢寺があります。本日の行程はマズその羅漢寺から始まります。

大森の五百羅漢
寺の川の向うに、崖を穿って3つの石窟があり、中央窟には石造の釈迦三尊像が
安置され、左窟には251体、右窟には250体の石造羅漢坐像が安置されています。



町並み『大森地区』を歩く
大森町は銀山の外郭町として、その発展と深く結び付いています。銀山町は生産
の町であるのに対して、大森町は行政・通商的機能をもった町であるといえます。
一般に、大森町の町並みの特徴は武家と町家が混在していることにあります。 
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この背景には、銀山への物資の流通、代官所の移転、御用商人や郷宿の設置な
ど、中世末から近世中期にかけての歴史と深く関係しているからです。その意味で
町並みが歴史を映し出しているといえるでしょう。                   
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大森地区の店頭で「変な物」発見

観世音寺
観世音寺は町並みの真ん中あたりの岩山の上に築かれていて、
ここから銀の採れた仙の山や大森の町並みが見えます。


コノ町の屋根瓦の大半は石州瓦です。
赤瓦とも呼ばれる石州瓦は、島根県の大田市から益田市にかけて生産され、
赤い釉薬がかかった光沢のある瓦で、丈夫で耐寒性に優れているとされています。


城上神社
永享6年1434年大内氏が仁摩町馬路の城山から分霊:祭神は大物主命(大国主命)
寛政12年(1800)3月24日の寛政の大火で焼失後、再建されました。
拝殿の格子天井には
鳴き竜が描かれています。


石見銀山資料館(大官所跡)
この大官所跡は、200年前に焼けた後に建てられたものです。
門の左右の門長屋には大工詰所、門番詰所、番人詰所、脚夫詰所とか仮獄舎とか、
そういうものがありました。
資料館になっている中の建物は明治時代に建てられ、邇摩郡の郡役所や中学校とし
て使われていました。


大森 勝源寺
江戸幕府2代奉行の竹村丹後守が大檀那となって造ったといわれ、京都知恩院を本山に
持つ浄土宗の寺院。 石段を上って行くと正面に四脚の楼門造りの山門が建っています。
四脚門には、毎夜水を飲みにぬけ出して困るというので、
竜の目に釘を打ち、動げないよう
にしたという竜の彫刻が施されています。                           
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世界遺産登録を目前?に、街中は電線や電話線を地中に埋める工事や、高札の整備に大あらわの感じ。


銀山町『銀山地区』
銀山が繁栄していたころは、”銀山七谷”には坑夫たちの住居が、ぎっしり建ち並ん 
でいました。「家数1万3千軒」、「唐人など来たり住す」と、『石見銀山旧記』は伝え
ています。銀山町は生産の町として発達してきました。そのため町内には、坑道や
製錬施設といった生産に関係する遺跡が多数残っています。            
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現在は銀山川を挟んで車道と遊歩道が有り、我々は山側の遊歩道を進みます。




清水谷精錬所跡
明治27年に大阪の藤田組が、銀含有率と量に着目し、近代的な製錬所を
建設しました。しかし鉱石の品質が予想より悪く、不採算となり、明治29年
で操業を停止しました。ココはその施設跡です。               
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龍源寺間歩(坑道見学
銀を掘るために掘った坑道を間歩(まぶ)といいますが、石見銀山に500余り存在する
間歩の中で、現在一般公開されているのは「龍源寺間歩」のみです。         0
しかしその龍源寺間歩にしても、見学できるのはほんの一部分であり、その奥に蟻の
巣のように掘られている坑道は見ることが出来ないのです。               0


行程MAP
はじめに今回の計画を見た時、島根県に行くのに九州までフェリー?なんでやねん!と叫びました。
でも、心配無用・私の疑問はまったくの取り越し苦労でございました。普通なら2泊3日の行程を見事に
夜行日帰りで…さすが・さすがの乾杯です。いや、完敗でございました。                 
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世界遺産を目指す地元の皆様の願いが叶いますよう、応援申し上げております。
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