2007年9月30日
     澤熊講師と歩く湖北の観音さま

(湖北の仏教文化と伊香三十三観音巡りウォーク)
〔第6回〕

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大阪梅田茶屋町名神=北陸道大岩寺地蔵堂
 余呉湖荘(昼食)光勝庵福泉庵
万福寺(全長寺)法照寺正明寺  北陸道





大岩山・大岩寺
聖観音
坂口村の聖観音様は、大岩山の尾根近くの観音堂で我々一行をお待ちです。
県道?から山道を約20分、生憎の雨で足元が悪く・・・



我々の下山を待ち構えていたのは、この土地で採れたお米…、「菅公米」の菅公菅原道真の事です。
余呉湖には羽衣伝説が伝わっていて・・・
『その昔、桐畑太夫という男が舟遊びをしているとき、水遊びをしている天女を見つけ、あまりの美しさに、
柳の枝に掛けてあった衣を隠してしまいました。困った天女に男は「私の家にある着物をあげよう」と家に
連れ帰りました。そのまま夫婦になった二人は子供に恵まれ、幸せに暮らしていました。ところが、ある日
天女は家の藁の下に無くしたはずの衣を見つけ、男と子供を残して天に帰ってしまいました。』

そのときの子供が菅原道真公だといわれております。・・・1`・お土産に買って帰りました。





白木山・地蔵堂
聖観音
ご本尊の子安地蔵尊を中央に、向かって右にお薬師さま、左に白木山聖観音菩薩が祀られています。

白木観音は、もとは余呉湖畔につき出た白木の森の中に、白木(新羅)神社と共に白木山観音堂がありました。
 この観音像は、聖観音で高さ九八・〇cmで桧の一本造りで、調達は簡素で腰を左にひねり、顔を除く全体に

塗ったと言われており、左手に未開の蓮華を持って、右手施無畏印を結び、法衣の彫りなどは荒く簡素でありますが、
渋色の落着いた感しの観音さまです。





(昼食)余呉湖荘
国民宿舎です。茶碗蒸しにマツタケが・・・・・・・・・・ココを





片岡山・安養寺(光勝庵)
十一面観音
 創建は、中世にまでさかのぼります。もともとは天台宗の寺院だったが、池原にある全長寺の僧に
よって曹洞宗寺院として再興されました。本尊は釈迦三尊です。
 堂内には、草岡神社の神宮寺で、廃仏毀釈の際廃寺となった安養寺の本尊、
十一面観音像
祀られています。この仏像は、国安区民の「氏仏(うじぼとけ)」として、区民の信仰を集めています。
像高110センチほどの寄木・乾漆造の立像で、鎌倉〜室町初期の様式をもつと言われています。






福泉庵(文室氏仏)
聖観音
曹洞宗寺院で池原にある全長寺の末寺。本尊は聖観音菩薩。全長寺の隠居寺だったとも・・・
観音様は坐像・・・20pくらいの小像です。最近お洗濯されたらしく金色に輝いておられました。





別所山・万福寺(久澤山・全長寺)
馬頭観音
文明元年(1469)浄土宗の僧、全長が池原村字新堂に阿弥陀如来を本尊とする一宇を建て、
全長坊としたのがこの寺の始まりです。全長が死期を覚って禅宗に帰依し、伊香郡椿坂村の
曹洞宗桂照院の頤正全養に自分亡き後の全長坊を頼んだ。
慶長2年(1597)、頤正全養は全長の意思に従い、全長坊を曹洞宗に転じ、久澤山全長寺としました。


全長寺の一隅に万福寺(江州伊香観音33箇所25番)の馬頭観音を収蔵した観音堂があります。

元の
万福寺の観音堂
には 観音座と天神座があり 、観音座は全長寺へ 、天神座は西浅井の
方へ移したと言われていますが 、天神座については明らかではありません。

像高1.4mの 採色された寄木の立像で 、頭上には 馬頭と二つの側面をもち 焔髪に忿怒の相で
六臂
の肘や脛をあらわにして蓮台に立たれる姿は 聖観音や十一面観音などやさしいお顔を拝観
した目には異様に感じます。

万福寺は 淳和天皇の 天長8年( 831 ) に恵心僧都によって開かれた 天台宗の寺院と伝えられています。当時は 中之郷
の大寺 、国安の奈良寺と共に 余呉荘の三大天台寺院として隆盛を誇っていましたが 、比叡山延暦寺が織田信長に反旗
をひるがえした時 、戦火により焼失し、余呉から消えた寺です。





東野山・法照寺
何でもご本尊の聖観音は、盗難にあわれ…その後、無事にお戻りになられたとか・・・
しかし、堂内の2体の観音様は共に新作?・・・ご本尊は何処へ・・・聞き漏らしました。


盗難に遭われた法照寺ご本尊の聖観音






笠上山・正明寺
十一面観音

ご本尊の十一面観音は、秘仏で御厨子の中・・・お逢いする事は出来ませんでした。

元禄十年・大雨による山崩れで土中に埋没して行方知れずでしたが、その後、村人の
霊夢により再度地中より掘り起こされた仏様です。





伊香三十三観音様の朱印帳