天平文化の息吹き
平城の都ウォーク
北原白秋の詞に、この道はいつか来た道… と云うのがあったけど、今日のウォークは
私にとって、
この道はいつも来た道…いや来たというより浸っていた・どっぷり漬かって
いた路。何十回いや何百回?来たかナ。そんな大和路の中心を
大歩協で歩くというから
には行かねばならぬ…と。いつもは重いカメラを 担いで、無我夢中で シャッターと格闘し
ている大和路だけど

今日はのんびりと小さなカメラ片手に、皆さんの後について歩いてみました。



奈良駅→@奈良県庁前〜A興福寺〜B猿沢の池〜C率川〜D采女神社〜E奈良町〜F元興寺〜G京終〜
H
大安寺〜I柏木公園・昼食〜J彼岸花道〜K薬師寺〜L唐招提寺〜M平城宮跡・朱雀門→近鉄大和西大寺駅


@奈良県庁前(10:00集合)
三匹の鹿の内、一匹だけでも首をもたげてくれと待っていたのですが、出発の時刻が迫って…
                           奈良の鹿について、もう少し知りたい お方は



A興福寺
その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。その山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡大王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、この名称は後世においても興福寺の別称として使われています。その後、壬申の乱(672)ののち、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移建され、その地名を取って厩坂寺とされました。さらに、平城遷都の際、和銅3年(710)藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられました。

知ったかぶり
本日のコースは、710年・元明帝の御世に遷都がなった平城京と、その都に創られた国家守護が目的の奈良四大寺をめぐるウォーク。 これを機会に奈良四大寺と前都の飛鳥(藤原)四大寺を比較検討してみよう。


飛鳥四大寺と遷都後の奈良四大寺を比較してみると、川原寺が排除され、興福寺が加わっている。藤原氏の氏寺・興福寺を遷都を機に国家の四大寺に加えたという見方も出来、従来皇室が持っていた四っの寺の藤原氏における奪略と云う見方も出来る。しかも興福寺のある場所は外京で、そこは都の高台にあって、都が一望できる、いわば軍事的要地である。この外京の中心部に藤原氏の氏寺・興福寺を。そして南に元興寺を見下ろしている。この元興寺は蘇我氏の氏寺を無理矢理に藤原不比等が移転させたものであろう。


            
福が興る寺・すなわち興隆の絶頂にある藤原氏の興福寺が、
蘇我氏仏都の中心であった
元興寺(もとおこるてら)を、じっと
見下ろす位置にあるのも興味深い。



B猿沢の池
池と柳,その背景に五重塔 --この絵葉書のような写真を見ると、景色が奈良であり,
池は猿沢池であると日本人なら無意識に呑み込む.それほど代表的な今では奈良を
代表する象徴になってしまった。当時の興福寺境内の敷地の池は現在では公園になっています。




C率川
猿沢池の南西にある小さな橋は「嶋嘉橋」、この橋の下の小さな流れが「率川」
その率川の石の船に お地蔵様がぎっしりと… 何度も目にしている光景ですが
由来は???、どなたか ご存知のお方・・・よろしく。                0
この石船は川下に向かってます。お地蔵様が大勢流されて行くようで、病払い・
厄落としの意味でもあるのでしようか〜、                       
ぎゃくに率川に添って川上へ進むと式内社「率川神社」に辿ります。この神社の
三枝祭り(通称ゆり祭り)は古くから奈良市民に愛される大きなおまつりです。 



D後ろ向きの采女神社
鳥居は猿沢池を向いているのに、猿沢池に背をむけて、西向きに建っている采女神社の社殿は
いつ訪れても、静かにチョッと寂し気の雰囲気を漂わせながら池の北西に佇んでいます。   00
言い伝えによれば、昔、ある采女が帝の寵愛を受けたが やがて帝の関心が薄れ
それを嘆き悲しみ猿沢の池に身を投げた。その死を悼み、帝が この社を猿沢池に
面して建て その霊を祀ったが、自分が命を落とした池を 見るのは辛いと、一夜の
   内に反対向きになったという。                                 
0
0我妹子が 寝くたれ髪を 猿沢の 池の玉藻と 見るぞ悲しき 拾遺集・柿本人麻呂



E奈良町
沢の池の南、元興寺を中心に碁盤目状に町家が並ぶ一角で、中世、
町人の自治により発展した所で、往時の町並がよく保存されています。




F元興寺
蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺がその前身で、
法興寺は平城京遷都に伴って飛鳥から新都へ移転し、元興寺となりました。      0
ただし、飛鳥の法興寺も元の場所に残り、今日の飛鳥寺となっています。



G京終
JR桜井線の奈良駅の一つ手前の駅が京終(きょうはて)
「終」を「はて」と読ますなんて日本語の日本語たる誇り
ここは京(みやこ)の
おわりではなく、都のはてなんダ〜



H大安寺
毎年一月二十三日の光仁会・「癌封じ笹酒祭り」で 有名となりました。
この日は、がん封じの御祈祷と、青竹の筒で温められた 笹酒の薬効
が相俟って、御利益あらたかといわれ、遠近からの参詣者で境内はあ
ふれ、古都奈良の新春の風物詩となっています。            0
0




I柏木公園
昼食の柏木公園では、食後恒例のお歌の時間。
本日の課題曲は「赤い花なら 曼珠沙華〜」と「夕焼小焼の 赤とんぼ
題名を記さないのは別に意味なし、ほんの気紛れでござりまする。



J西の京へ
お昼からは、畦道の彼岸花に見送られて…薬師寺の塔が我々一行を迎えてくれました。



K大池
薬師寺の金堂と 二つの塔が見える絶好の撮影ポイント と言うけれど、最近は 知れ渡りすぎて…
特に1月の若草山の山焼きの日なんかは午前中から場所取りのカメラマニアでごった返してます。
薬師寺の伽藍がシルエットに、山焼きの炎が赤々と…あんまり有名になって欲しくない場所だった
のですがネ。                                 してみて下さい。



秋篠川
今日はウォークが目的。寺院の拝観は他日に譲って、帰りはひたすら秋篠川沿いを萩を愛でながら北上…



L唐招提寺
中央の白い建物が大修理中の唐招提寺金堂 (国宝)です。完成目標は2010年、
5/19のうちわまき、6/6の鑑真和上坐像・障壁画特別開扉、中秋名月の観月会
等・大和の数ある寺院の中で、特に好きな お寺のひとつです。(他に二月堂も)
松本清張の代表作 「球形の荒野」 は、ここ唐招提寺からその物語が始まります



Mゴール・解散の平城京・朱雀門
(14:10)
ここからゴールの近鉄・大和西大寺駅までは約1.2`です。






大阪府歩け歩け協会 2006年9月24日