2008年9月9日

九州・豊前街道を行く

福岡(小倉城八坂神社松本清張記念館)→
→大分(
中津城福沢旧居)→飯塚(嘉穂劇場)




小倉城
関門海峡に面した小倉は、陸海の交通の要衝として、古くから砦や城が構えられた地でした。
この地を抑えるために繰りひろげられた、多くの豪族たちの攻防の歴史も残っています。
小倉城の歴史は、戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから
始まります。その後、高橋鑑種や毛利勝信が居城し、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興に
よって、1602年に本格的に築城が始まり約七年の歳月を要しました。
細川氏熊本転封の後には、播磨国明石から細川家とは姻戚関係にある譜代の小笠原忠真が、
1632年に入国。小倉小笠原藩は、徳川家光から九州諸大名監視という特命を受けていました。


小倉城庭園は、
小倉城主の下屋敷 跡に、江戸時代の大名屋敷を再現した施設です。





小倉・八坂神社
由緒は平安時代の貞観年間までさかのぼります、
1617に時の小倉城主細川忠興公は祇園社とし総鎮守として仰ぎました。


このお社で有名なお祭りは、
太鼓の祇園といわれ、全国三大祇園に数えられる夏祭りがあります。


映画『無法松の一生』で全国的に有名になりました。
その第一作目は1943年、キャストは
 阪東妻三郎(富島松五郎)
 月形龍之介(結城重蔵)
 永田靖(吉岡小太郎)
 園井恵子(夫人良子)
 川村禾門(吉岡敏雄)
 沢村アキヲ(現・長門裕之。敏雄の幼年時代)


古すぎますネ。1958年には三船敏郎も・・・
1965年には勝新太郎も、やってますよ


そうそう、村田英雄も歌ってました、・・・・・ココをクリック・・・
そうそう、坂本冬美も歌ってました、・・・・・ココをクリック・・・




松本清張記念館
松本清張は、北九州市小倉北区の生まれ
松本清張はあらゆる規範をこえた作家で、芥川賞を受賞した「或る『小倉記』伝」が本来は
直木賞の候補作だったという経緯が示すように、一つの型に分類することが不可能な大きさ
を持った文学者でした。

1958年に発表した推理小説『点と線』『眼の壁』の2長編はベストセラーとなり、犯罪の動機を
重視した「社会派推理小説」とよばれる作品は「清張ブーム」を引き起こし、推理小説を大衆に
開放することに成功した。





昼食処 『割烹・丸清』
鱧〔はも〕といえば京都が専門かと思っていましたが、大分の中津も有名でした。
大阪のえびす様は、小脇に鯛を抱えていらっしゃいますが、
ここ中津のえびす様は 「鱧」 を だっこしておられましたよ。





中津城
山国川の河口に、黒田官兵衛と細川忠興が築いた城です
梯郭式平城。縄張りが扇形をしているため、別名「扇城(せんじょう)」とも呼ばれています。
周防灘(豊前海)に臨む山国川河口の地に築城され、堀には海水が引き込まれている、所謂
水城であり、今治城・高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられています。
現在城跡には5重5階の天守と2重の櫓が存在しますが、これは昭和39年(1964年)、萩城の
天守を模して薬研堀端の隅櫓跡に観光を目的として鉄筋コンクリート造で建てられたものです。




福沢諭吉・旧居
慶応義塾の創始者である福沢諭吉の旧居で、諭吉は天保5年(1835)に大阪堂島の
中津藩蔵屋敷で生まれた。父が死亡したので諭吉が1歳6ヶ月の時に帰藩し、
この家で19歳まで暮らしました。




中津の寺町
中津の寺町は、中津城東側に城下町防御の一要素として形造られました。
多くのお寺が集まる寺町周辺は今も江戸時代の町並みをとどめています。



寂玄上人が禅問答の末に、カッパを仏道に入れ、その後・お寺を火事や水難から守らせたと
伝わっています。寺にはカッパの墓や池があるらしいのですが、団体行動なので探す暇ナシ


赤壁の合元寺
豊臣秀吉の時代、豊前の実力者だった宇都宮鎮房が騙し討ちに遇い、この寺を宿舎に
していた家臣たちも全員討ち死。
その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに
赤壁に塗り替えたという言い伝えが残っています。




嘉穂劇場
福岡県飯塚市に立地する劇場で、国登録有形文化財です。
前身は1921年(大正10年)に大阪・中座を模して建てられた木造3階建てす。

観客は当時筑豊地域の中心産業であった石炭炭鉱の労働者とその家族が中心で、
大衆演劇や歌手の公演などで賑わいました。しかし石炭産業の衰退もあって、1962年
(昭和37年)には延べ266日であった公演数は、1970年代には10〜15日に落ち込む。
こうした事態を打開すべく、1979年(昭和54年)から毎年9月に九州演劇協会による
全国座長大会」が開催されるようになったことや、レトロな雰囲気が人気となり、
近年では、年間30〜40日の公演が行われています。

我々は、まず舞台に上がり、客席を眺めながら、お芝居や小屋の説明を受けました。

嘉穂劇場は特徴的なトラス形式の小屋組みで出来ています。間口十間〔約18m〕の大きな
梁を構成する事で、柱を使わず建てられた建築は、コノ地がかつて炭鉱で栄えていたから
できたといえる贅沢な空間です。

嘉穂劇場の奈落・その他
一行の皆さんと離れて、舞台の下・いわゆる「奈落」に降りてみましが、
ひとりで居るにはあまり気持ちの良い場所ではありません。
花道の下の通路が非常に狭い・・・
この通路を「早代わり」で駆け抜ける役者さんは大変ダ〜





筑豊のボタ山

嘉穂劇場のある筑豊の飯塚は、かつて炭鉱(石炭)で栄えた街でした。
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因みに筑豊とは、筑前国と豊前国の頭文字をとったものです。
ボタ山とは石炭や亜炭の採掘に伴い発生する捨石(ボタ)の集積場です。
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一時代を築いた炭鉱の町のボタ山にも、いつしか木や草が生い茂り、
帰途につくバスの窓から、私の目には遺跡・古墳のように見えました。