澤熊講師と行く・・・2008年5月6〜8日
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隠岐四島めぐりウォーク
(後鳥羽上皇と後醍醐天皇、そして花の島)


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I大阪茶屋町7:00発 =(バス) =中国道=米子道=島根県・境港(高速船)〜隠岐(島後)
I=玉若酢命神社=隠岐国分寺=水若酢神社=隠岐郷土館・石楠花園=白鳥展望台
I西郷・ホテルニューかじたに・宿泊
I2日目=西郷港〜(船)知夫里島・来居港=アカハゲ山=来居港(船)〜中ノ島・菱浦港
I
=海士町歴史民族資料館後鳥羽上皇御火葬塚隠岐神社=金光寺=明屋海岸=
I菱浦港〜(船)西ノ浦・別府港=・・・・・・・・・・・・・=美田・シーサイドホテル鶴丸・宿泊
3日目=美田〜(船)国賀海岸〜国賀浜〜魔天崖ウォーク 黒木御所跡=別府港
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隠岐は島根県にある島根半島の沖合い、北に約44q(島前)から80q(島後)にかけて散在する諸島です。
島の数は大きい島が4つ在ります。
隠岐諸島の北側に属する一番大きい島を島後
(どうご)と呼び、南側に属する島を島前(どうぜん)と呼びます。
大小合わせて約180個ぐらいで干潮・満潮の時に数がかなり変わってしまうので正確には島の数を数えるこ
とは出来ないと言われています。(島にするか岩にするか?で・・・)




隠岐へは、中国自動車道〜米子自動車道経由です。
途中・・・休息の蒜山高原SAから一際高い大山が望めました。


       SAにあった「金持神社」・・・思わず・・・二礼二拍・・・・・・ご利益あるかナ〜

隠岐へ渡るには、鳥取県の境港から船に乗ります。鳥取県といっても端っこで、
すぐ前は島根県・・・隠岐は島根県です・・・島根県隠岐郡です。
鳥取と島根の境目のような場所にあるから境港?と、変に納得。

境港は鬼太郎の街・・・ゲゲゲの町です。道路も「水木しげるロード」と名付けられて・・・

高速船「レインボー」で隠岐に渡ります。
高速船は時速約70kmで走行しています。航海中は浮遊物や鯨類等の海洋生物との接触を避けるため、
急旋回により 、船が傾いたり、場合によっては緊急着水をすることがあるらしく、
シートベルト着用です。



(次ページ、隠岐・西郷港へ上陸)




チョッと道草


鳥取県の境港へ向かう途中
吹田JCTから中国自動車道を161.1km走ると「院庄インターチェンジ」です。
「院庄」は、本日の目的地である隠岐に流された後醍醐天皇と、その忠臣
児島高徳のお話が有名です。

鎌倉時代最末期の元弘二年(1332)三月.児島高徳は隠岐へ流される
後醍醐天皇
を奪回しようと、その跡を追ったが果せず.せめて志だけ
でも伝えようと天皇の宿所に忍び込んで庭の
桜樹の幹を削って
中国越王勾践
の故事に因んだ十字の詩を書き
ました。
十字の詩とは・・・
『天莫空勾践 時非無笵蠡』
            
てんこうせんを むなしゅうするなかれ ときにはんれい なきにしもあらず
何のこっちゃ〜解からん10文字ですが、これを理解できた後醍醐帝はエライ

江戸時代以降、南朝の忠臣として讃えられ、特に皇国史観の下での学校教育
において絶好の教材となり、児島高徳は、楠正成と共に国民的英雄となり、
文部省唱歌に歌われました。


文部省唱歌「児島高徳」作詞不詳・岡野貞一作曲
@船坂山や杉坂と
 御あと慕いて院の庄
 微衷をいかで聞こえんと
 桜の幹に十字の詩
 天勾践を空しゅうする莫れ
 時范蠡無きにしも非ず

A御心ならぬいでましの
 御袖露けき朝戸出に
 誦じて笑(え)ます かしこさよ
 桜の幹の十字の詩
 天勾践を空しゅうする莫れ
 時范蠡無きにしも非ず
クリックで曲




 『天莫空勾践 時非無笵蠡』の意味は
 後醍醐天皇を勾践にたとえ、
名臣が出現しないわけがないのだから
諦めないようにと励ましたのでしょう。


 参考→(皇国史観 )  (勾践 )  (范蠡 )  (臥薪嘗胆 )