2008年11月15日

幻の鉄道・五新線(旧国鉄)廃線跡を歩く


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大阪・梅田7:30発 =バス=五条−廃線跡ウォーク生子トンネル−賀名生
賀名生資料館見学&皇居跡−大日川トンネル衣笠トンネル城戸(西吉野)
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五新線は、かつて、奈良県五條市の西日本旅客鉄道(JR西日本)和歌山線の五条駅と、和歌山県新宮市の紀勢本線新宮駅を結ぶ計画だった日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線です。
五条駅〜大塔村阪本間を阪本線として先行開通させる予定でした。

五新線の沿線は吉野杉などの木材の産地で、その木材を鉄道で輸送させる構想で1939年に建設に着手。
太平洋戦争のため工事は中断するが、1957年に工事を再開し、1959年に五条駅から西吉野村城戸(現・五條市西吉野町城戸)まで路盤が完成します。
しかし、西吉野村内に予定されていた駅の設置数が思惑より少なく、バスであれば随所に停留所を
設置できることから西吉野村は鉄道としての部分開業に反対し、バス路線としての開業を主張した。
この対応に地元は真っ二つに割れ混乱することになります。

さらに近鉄が吉野口 - 五条 - 阪本の電化工事を負担し、大阪阿部野橋駅から電車による乗り入れの構想が表明され、南海も同様に工事費を負担し難波駅から橋本駅経由での気動車運転の構想を表明したため、混乱に拍車がかかった。結局、五条 - 城戸の路盤をバス専用道路として暫定使用する一方、城戸 - 阪本は引き続き建設し、この区間の完成後はバス専用道路を鉄道に切り替えるという、バス派と鉄道派の両者を立てた決着が図られました。

その後、近鉄・南海の乗り入れ案は排除された(両社とも五条 - 十津川 - 新宮のバス路線への参入が真の目的であり、本気で鉄道を建設する気はなかったのではないか、と言われています)。
城戸 - 阪本の建設工事は進められましたが、国鉄再建法施行により1982年に工事が凍結され、モータリゼーションが進展するなかで採算が見込めないことから、結局列車が走ることなく
計画は断念してしまったのです。




萌の朱雀』と云う映画がありました。
これは、奈良県出身の映画監督・映像作家・河瀬直美による、五新線の工事に携わる地元の人々を描いた作品で、 簡単に筋書きを紹介すると
『林業低迷に悩む奈良県の山村。過疎の村に鉄道を通すという夢を持ち、トンネル開通工事に従事している孝三は、妻と一人娘、甥っ子との一家でつつましくも幸せな日々を送っていた。それから15年、工事の中断が決定され、孝三はうつろな毎日を送っていた。心の隙間が埋められず、やがて彼は家族を残して失踪してしまう…。』
97年カンヌ国際映画祭の新人監督賞(カメラ・ドール)を日本映画として初めて受賞した作品です。
1996年春、ロケハンのため同村を訪れていた河瀬直美が、当時地元の中学生で学校の下駄箱を掃除中だった尾野真千子に声をかけ、主演に抜擢した。
本作が
女優・尾野真千子のデビュー作となりました。




五条
この廃線跡は既にレールはハズされ
舗装されJRバス専用道路になっていますが、
バスは朝夕・各1便、
ウォークは役所の許可が必要です。
歩けるのは五条から城戸までの約12`、
歩き慣れたベテランさんにはチョッと物足り
ない距離かも知れません。



今の時期、柿畑の富有柿が美味しそうに実ってます。



生子トンネル
生子トンネルを抜けると西吉野村に入ります。







賀名生
0遙か延元元年(1336年)の年の暮れ、足利尊氏の軍勢によって京の都を追われた
後醍醐天皇は、吉野へと向かう途中に西吉野に立ち寄られました。
天皇を手厚くもてなした郷土「堀孫太郎信増」の邸宅はその後、
後村上天皇長慶後亀山天皇皇居として南朝の歴史を刻んでいます。

 南朝こそ正統でありたいと願う後村上天皇は、
かつては「
穴生(あなふ)」と呼ばれていたこの地に
夢現実の願いを込めて「
叶名生(かなふ)」と名付けました。
その後、正平6年(1351年)には足利氏が南朝に帰順し、
また多くの公卿や殿上からの賛同を得た事より願いが叶ったという喜びを記して、
再度この地の名前を名付け改める勅書を下されました。
それが、「
賀名生(あのう)」の由来です。




賀名生・皇居跡




賀名生資料館見学

0賀名生は、一般に梅林で有名です。
北曽木の丘陵を麓から中腹までおおいつくすように2万本の梅が続きます。




大日川トンネル



衣笠トンネル
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城戸(西吉野)
ここが本日のゴール
ココから先のトンネルは、厳重に施錠されていて、先に進むことは出来ません。




JA西吉野柿選果場
全国でもっとも柿栽培に適し、甘くておいしい柿が食べられることで有名な西吉野
日本一と云われる
柿選果場に立ち寄りました