2007年9月18日〜20日


西の京・山口の歴史を歩く

今回は約500年前の大内氏〜毛利氏の歴史に触れるウォークツァーです。
大阪南港(9/18・20:00出港)〜名門大洋フェリー・船中泊九州・新門司港(9/19・8:00入港)
船内レストランにて朝食の後中国道=山口市・洞春寺瑠璃光寺雲谷庵昼食・長州苑
常栄寺ザビエル記念碑龍福寺十朋亭ザビエル記念聖堂龍蔵寺
門司港レトロ新門司港(20:00出港)大阪南港(9/20・8:00入港)解散
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   洞春寺
   毛利元就公の菩提寺です。
   元就公安芸郡山城において七十五歳で没し、お墓は郡山にあり菩提寺も近くに建立されました。
   しかし毛利氏の防長移封により萩城内に、さらに山口に移されました。元就公が生前、敵味方の
   戦死者の供養ために行なっていたという法華経千部会は現在でも寺で行なわれていて、元就公
   の志を今に伝えています。




   瑠璃光寺
   大内氏前期全盛の頃、25代大内義弘は現在の香山公園に、石屏子介禅師を迎え香積寺を建立
   しました。義弘は応永6年(1399年)足利義満と泉州に戦い戦死。26代弟・盛見は兄の菩提を弔
   うために、香積寺に五重塔を造営中、九州の少貳勢と戦って戦死し、五重塔はその後、嘉吉2年
   (1442年)頃落慶しました。毛利輝元が萩入りし、香積寺を萩に引寺し、跡地に仁保から瑠璃光寺
   を移築しました。これが今日の姿です。

   本三名塔のひとつに数えられる国宝瑠璃光寺五重塔
   時の将軍・足利義満と戦って戦死した領主・大内義弘の霊を弔うため、義弘の弟・盛見が建てたも
   のです。塔の高さは31.2 メートルで、屋根は檜皮葺。 2層には手すりがあるが3層にはないことや、
   初層内の須弥壇(仏様がまつってある場所)が円形、などの特徴があります。
   背景に山が迫り、桜や紅葉、雪景色の映える姿は、全国でも最も美しい五重塔と親しまれています。

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本三名塔とは、醍醐寺(京都府)、法隆寺(奈良県)と、この瑠璃光寺(山口県)の事です。




   雲谷庵
   雲谷庵跡は、画聖雪舟の旧居跡(アトリエ)で天花七尾山の南麓にあります。
   雪舟は、応永27年(1420)備中赤浜(現在の岡山県総社市に生まれ、12歳の頃生家に近い宝福寺
   に入って僧になったと伝えられています。その後、京都の相国寺に入り、禅とともに画技を学んだ。
   40歳前後に山口に来住し、寛正5年(1464)45歳の頃には、この地にあった雲谷庵に住んでいたと
   いわれています。





   トンネルを抜けて食事処の長州苑へ向かいます。



   長州苑(昼食)
   昼食は、ふぐ雑炊と河豚の天麩羅でした。




   常栄寺
    もともとこの地には大内教弘の夫人妙喜寺殿宗岡妙正大姉の菩提寺妙喜寺がありました。
   毛利氏が防長に移された後、毛利隆元の夫人妙寿大姉の菩提寺となり、寺号を妙寿寺としました。
   幕末隆元の菩提寺がここに移り、寺号を常栄寺と称するに至りました。
    庭園は、今から500年前、妙喜寺の時代に、大内政弘が別荘として、画僧雪舟に築庭させたもの
   と伝えられ、現在国の史跡名勝に指定されています。庭園は本堂の北面にあり、内庭は約30アール
   広さで、東、西、北の三方が山林となっています。近年この山林も指定地域に含まれました。




ザビエル記念碑




   龍福寺(大内氏館跡)
    大内氏館はおよそ600年前、大内氏中興の祖24代大内弘世によって築造され、その後31代大内
   義隆が重臣の陶晴賢に急襲され敗北して焼失するまでの 約200年間、大内氏歴代の当主が政務を
   とり政治経済の中心地として隆盛を誇りました。今は大内義隆の菩提をとむらうため館跡に龍福寺が
   建っています。 その本堂は重要文化財に指定されています。また、北側に隣接して別邸の築山館が
   ありました。現在は、館跡は、国指定の史跡となっています。 (本堂は解体修理中でした)




  十朋亭
    十朋亭は、山口の旧家萬代(ばんだい)家の離れとして江戸時代後期に建てられたと考えられます。
   7帖、4.5帖の畳敷きの2部屋と、1.5間角の板の間と1間角の土間がある。7帖の部屋には縁側と、
   1間の床の間が付き、4.5帖の部屋には押入が付いています。
    十朋亭の名は、滞在した大阪の儒者篠崎小竹に3代当主萬代利兵衛英備が頼んで、命名されたも
   のであります。利兵衛は尊王愛国の念に厚く、しばしば勤王の志士たちの活動を援護していたので、
   十朋亭には常に多くの志士が集まりました。
    元治元年(1864)伊藤博文が洋行から帰った時もこの十朋亭を宿とし、翌日井上馨とともに政事堂に
   出頭、藩主に謁見復命したと記録に見られます。このほか周布政之助、桂小五郎、高杉晋作、久坂玄瑞
   坪井久右衛門、冨永有隣、白根太助、大村益次郎、前田孫右衛門、来島又衛門などしばしば来宿した
   と伝えられています。
    このように十朋亭は山口における明治維新遺跡として重要な意義があり、また江戸時代の民家建築
   としても価値の高いものです。










   ザビエル記念聖堂
   記念聖堂は、昭和27年にサビエルが山口を訪れてから400年を記念して建てられました。内部には
   サビエルの一生を描いた美しいステンドグラスがあり、聖堂からは15分おきに時を告げる美しい鐘音
   が市街に響いていました。けれども、残念ながら平成3年9月5日に焼失してしまいました。
   その後、再建に向けて募金活動なども行われ、焼失から6年と7か月経った平成10年4月29日白亜
   に輝く待望の新しい記念聖堂が完成しました。新しい記念聖堂は、イタリア在住のコンスタンティノ・ル
   ッジェリ神父とルイジ・レオニ氏により設計され、高さ53m(十字架と鐘を含めて)の2本の塔と屋根が
   建物全体を覆う三角錐となった斬新なデザインです。




   龍蔵寺
   見どころの多いお寺です。
   観音堂には真っ赤な馬頭観音駒つなぎの絵馬。雪舟作の流水の庭。山口三大名滝の一つ鼓の滝
   浮いて居る日切地蔵あくしゅ地蔵、また八百屋お七の供養塔までありました。


















大内氏の家紋 0 毛利氏の家紋