澤熊講師と行く
2009年6月22日
山城探訪ハイク 第9回
月山富田城&松江城






 大阪梅田の茶屋町を8:00に出て、中国道から米子道へ0
 島根県の第一歩は昼食からはじまります。


安来節演芸館・どじょう亭

0演芸館と名乗っているのだから、勿論「ドジョウすくい」の実演もやっているのでしょうが、本日・我々の
目的は「お城」です。そんなものには目もくれず、食後は直ちに出発して、月山富田城に向かいます。




安来・歴史資料館
資料館は道の駅「広瀬」の前にあり、戦国時代から近世初頭にかけて出雲国の政治・文化の中心
であった史跡富田城跡に隣接して建っています。
安来市の古代から近世にかけての歴史を「いにしえの安来」「富田城と乱世」「新しい社会へ」の大
きく3つに分けて展示しています。




月山富田城跡

歴代の出雲国守護職の居城で、戦国時代には大名尼子氏の本拠地となった。尼子氏は中国地方
の覇権を巡って周辺諸国と争い尼子経久の時期に出雲に基盤を造り上げ、嫡孫晴久の代には山陰・
山陽八ヶ国守護の大大名となった。天然の地形を利用した、最も難攻不落の要塞城といわれ「天空
の城」とも呼ばれていた。
その後、城を巡っても度々攻防戦が行われたが、最終的に尼子氏は毛利氏によって滅ぼされ、城も
毛利領となった。1600年(慶長5年)以降、堀尾氏が城主となるが、1611年(慶長16年)、堀尾忠晴が
松江城に移り廃城となった。1934年(昭和9年)、国の史跡に指定された。


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月山富田城は往復1時間30分くらいのコースですが、生憎の雨です。
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 月山富田城の戦い
 1542年〜1543年・1565年〜1566年に尼子氏の本拠である出雲国の月山富田城を巡って発生
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 した合戦である。
 この合戦は第一次月山富田城の戦いと第二次月山富田城の戦いに分けることができる。
 第一次では大内氏と毛利氏の連合軍と尼子氏の戦いとなり、大内氏が滅亡した後の第二次で
 は、毛利元就がこの戦いを開始し、尼子氏を滅亡させた。





 「花の壇辺りでは、何の祟りか土砂降りになってきました。

、水も滴るイイ男の山中鹿之助も、
滴るどころかズブ濡れのグチョグチョです。

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 山中幸盛(
山中鹿之助)
 戦国大名尼子氏の家臣。本姓は源氏。実名は幸盛、通称鹿介だが、講談の類で鹿之助とされ
 たため、一般には山中鹿之助なる誤った表記で知られるようになりました。
 尼子氏が衰亡していく中、御家再興のため、鹿介が「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と
 三日月に祈った逸話は講談などで有名ですが、詳しくは・・・→ココを(筑後川さんのサイトです)

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八雲立つ・・・風土記の丘・展示学習館

 「八雲立つ」は、「出雲」の枕詞です。古事記に記載されている、日本最古の和歌で、 
 
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」にも使われてている。 


八雲立つ風土記の丘は、全国で6番目の風土記の丘として昭和47年にオープンしました。
丘一帯は、奈良時代に編さんされた「出雲国風土記」のくにびき神話を起源とする意宇郡の中心に
あたる地域です。この周辺には縄文時代、弥生時代の遺跡をはじめ方墳や前方後円墳などの多く
の古墳が分布し、また国庁、国分寺といった奈良時代の政治.経済.文化の中心地でもあり、出雲国
造家にゆかりのある神社や寺もあって、文化財の一大宝庫です。




神魂神社(かもすじんじゃ)
島根県松江市大庭(おおば)町に鎮座。大庭大宮ともいう。祭神は伊弉冉(いざなみ)大神、伊弉諾(いざなぎ)大神。
神社名の「かもす」は「神坐(かみま)す」の転訛(てんか)。古代、当地は出雲国造(いずものくにのみやつこ)の根拠
地で、その邸内に祀(まつ)られていた祭場が、国造家が杵築(きづき)(出雲市大社町)の地に移ったのちも、そのま
ま旧地に祀られ、独立の神社となったものと伝えるが、創建については明らかでない。旧県社。
本殿は切妻造で、大社造の最古の遺構として国宝に指定されている。




宿泊の松江東急インホテル
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明日は月照寺と松江城の予定ですが、お天気は大丈夫かナ〜




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