澤村講師と行く
2008年10月20〜22日
島根県の小京都・津和野を
隅から隅までハイク


まずは、奥津和野・堀庭園
0 ここは「天領の里」・春秋峡といって、津和野八景の一つなっています。
昔は石見国・畑迫村と云い、堀家を中心として栄えた村です。     
天領の里と呼ばれる由来は、此所の裏山・緑山から銀銅が出たので
 徳川幕府は此所を直轄領に指定し、幕府直属の大森銀山代官の支配
下に置いた為です。




ココからが本当の津和野です



森鴎外記念館
森鴎外(本名・森林太郎)は文久2年(1862)1月19日石見国津和野に、生まれ、明治5年
(1872)に10歳で上京するまでここ津和野で過ごしました



「津和野」の名の由来は花の「つわぶき」からと・・・


お弁当に出た五目寿司は、
滅茶苦茶・上に乗った玉子が多かった。
つわぶきの花のイメージでしょうか

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津和野城址へ登ります。



              リフトは、改装工事中でストップ。歩いて登りました

鎌倉時代、元寇襲来の翌年の弘安5年(1283年)吉見頼行は沿岸防備のため西石見地方の
地頭としてこの地に赴任した。永仁3年(1295年)より三本松城(津和野城の旧名)の築城を
開始し、正中元年(1324年)完成しました。以後、14代にわたり吉見氏が居城します。
吉見氏は毛利氏に属していましたが、毛利輝元を総大将とする西軍が関ヶ原で敗れ、毛利氏は
防長2国に押し込められ、吉見氏も津和野を退去し、毛利氏とともに萩に移住します。
関ヶ原以後は、代わって東軍に属した坂崎直盛が3万石(後に加増され4万3468石)で入城し、
城の大改修を行いました。 (坂崎直盛とは千姫事件で有名な坂崎出羽守)








太鼓谷稲成神社(日本五大稲荷)
稲成と稲荷・・・調査の必要がありそうですネ
太皷谷稲成神社は安永2年(1773年)に津和野藩主7代亀井矩貞公が津和野藩の安穏鎮護と
領民の安寧を祈願するために、三本松城(津和野城)の表鬼門にあたる東北端の太皷谷の峰に、
京都の伏見稲荷大社から斎き祀ったのが始めです。
以来、歴代の藩主の崇敬が篤く、廃藩後は一般庶民も参拝できるようになり広く信仰を集め、
その後、 御神徳は霊験と共に全国に崇敬景仰され、今では日本五大稲荷神社のひとつに数えら
れております。
 
日本五大稲荷(太皷谷稲成さんが言っているだけ)
  伏見稲荷大社   近畿の京都市伏見区
  笠間稲荷神社   関東の茨城県笠間市
  竹駒神社      東北の宮城県岩沼市
  祐徳稲荷神社   九州の佐賀県鹿島市
  太皷谷稲成神社  中国の島根県津和野



稲荷稲成
昔、お城のお倉番が鍵を紛失し、その責任として切腹を言い渡されました。
お倉番は静かに稲成神社に祈願しつつ、八方手を尽くして探索しましたが、
鍵の所在は不明のまま処刑の日は迫りました。
そして祈念満願の日、鍵はお倉番の手に返り、処刑は免れました。
この願望成就の御神徳に人々は只、感涙したと言います。
よって、願望成就の「
」をとって稲成神社と名付けられました

知ったかぶり
稲荷神社は、伏見稲荷(神道系)と豊川稲荷(仏教系)の系統があります。
いくつかの稲荷神社や稲荷を祀る寺院では、「当社は日本三大稲荷の一つ」
ということを宣伝文句としています。しかし、それらの内容は寺社によって異な
っています。

日本三大稲荷とされている寺社の一部と、
各寺社が他の2つを何としているか列挙してみます。
  • 祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市) ・・・・伏見稲荷 と 最上稲荷
  • 豊川稲荷(愛知県豊川市) ・・・・・・・・伏見稲荷 と 祐徳稲荷
  • 笠間稲荷神社(茨城県笠間市) ・・・・伏見稲荷 と 祐徳稲荷
  • 最上稲荷(岡山県岡山市) ・・・・・・・・伏見稲荷 と 豊川稲荷
  • 竹駒神社(宮城県岩沼市)・・・・・・・・・伏見稲荷 と 笠間稲荷
  • 鼻顔稲荷神社(長野県佐久市) ・・・ ・伏見稲荷 と 豊川稲荷
  • 千代保稲荷神社(岐阜県海津市) ・・・伏見稲荷 と 豊川稲荷
  • 瓢箪山稲荷神社(大阪府東大阪市) ・伏見稲荷 と 豊川稲荷
  • 草戸稲荷神社(広島県福山市) ・・・・ 伏見稲荷 と 豊川稲荷





津和野駅



乙女峠
長崎浦上村のキリスト教信徒153名を収容した廃寺光淋寺では、信徒に対し酷い
拷問が行われ、そのすさまじさから36名の殉教者を出しました。その際、日本で
唯一、ここ津和野に聖母マリアさまが光臨されたと伝えられたいます。





永明寺
深い木々に囲まれたなだらかな坂を上り、門をくぐれば、目の前に大きな境内が広がります。
ここは吉見、坂崎、亀井氏といった歴代の津和野城主の菩提寺。いまではめったに見られない
巨大な茅葺きは、息をのむ美しさです。


          石見人「森林太郎」と彫られた森鴎外の墓もひっそりと佇んでいます。




最後は、津和野の代表的な津和野・・・殿町です。