澤熊講師の初詣ツァー2009年1月1日
筑前大島と博多のお正月

大阪南港(17:00発)〜(名門大洋フェリー)〜(船中泊)〜(翌朝5:20新門司港着)船中朝食
=バス=福岡城跡=バス=聖福寺東長寺櫛田神社=バス=観光会館はかた(昼食)
神湊渡船場=船=筑前大島中津宮沖津島遥拝所大島港=船=神湊渡船場=バス=
宗像大社・辺津宮=バス=新門司港(19:50出港)〜(船中泊)〜(翌朝8:20大阪南港着)解散

恒例になりました『初詣ツァー』は、
船上の新年を祝う鏡割りから、その幕が切って落とされます。



福岡城
福岡城は慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけ黒田長政が造った城で、別名舞鶴城と言われ
ていました。今ではコノ地を舞鶴公園とよばれ、市民に親しまれています。
この城は天守閣がなく、そのため幕府にも、にらまれることなく明治まで安泰でありました。
今は石垣と濠の一部と、当時のまま残る南丸の多聞櫓が、当時の面影を伝えています。

上の写真ではわからないでしょうが、元旦の早朝(8:00〜9:00)の福岡城は、人影もなく、凄く寒いですョ。
雪が舞っているのです。カメラの設定を変えて、雪を目立つように撮ってみました


聖福寺
聖福寺は建久6年(1195年)に将軍源頼朝公よりこの地を賜り、栄西禅師を開山として創建された
日本最初の禅寺です。山号を安国山とし、寺号を聖福至仁禅寺と称します。
後鳥羽上皇より、日本で最初の禅寺である事を意する「扶桑最初禅窟」の号を賜わりました。


東長寺
(黒田藩の菩提寺)
大同元年(806年)、空海(弘法大師)が唐での修業ののち帰国し、博多滞在の折に密教東漸を
祈願して建立したと伝えられています。
永禄・天正の兵火に焼け荒廃していたところを近世に福岡藩2代目藩主の黒田忠之が寺禄300石
と山林15万坪(約50万?)を寄せ、寺基を現在地に移して諸堂宇を再興させ菩提所としました。
二代 忠之、三代 光之、八代 治高の三藩主が葬られています。
なお、藩祖 如水、初代藩主 長政など他の藩主の墓は博多区千代町にある崇福寺にあります。


福岡大仏
昭和63年より彫刻がはじまり4年の歳月を経て完成しました。木造坐像では日本一の大きさで、
写真では小さく見えますが、10mというと普通のビルの3階分くらいの大きさです。重さ 30t




櫛田神社
開創年代は、社伝には天平宝字元年(757)とありますが、一説では「ウノ皇女」(持統天皇)の
朱鳥年間(686〜687)ともいわれており、そうとう古い神社であることは確かです。
古来から博多の鎮守神として崇敬をあつめてきたものであり、5月の博多どんたく
7月の 博多祇園山笠、10月の博多おくんち と、博多を代表する祭が社域周辺を中心に繰り
広げられます。












2009年元旦の午後は、宗像三宮のお参りです。
0沖ノ島の沖津宮におまつりされる田心姫神
0
大島の中津宮におまつりされる湍津姫神、 
0そして田島の辺津宮には市杵島姫神がおまつりされています。
この三宮を総称して宗像大社と申します。

沖津宮がお祀りされている沖の島は、九州と朝鮮半島とを結ぶ玄界灘のほぼ中央にあります。
又女性はこの島には渡れず、今でも古代からの風習をそのまま守り続けている神の島でもあります。



弘法大師も菅原道真山上憶良阿部仲麻呂もお参りした神様 「宗像大社」
古事記、日本書紀などの古典によると宗像三神は北部九州から朝鮮半島にいたる海北道の
「道主貴」とたたえられています。「貴」とは神々に対する最高、最貴の尊称で、「道」とは国家
発展、交通安全など国民のあらゆる道を示す意味であり「国民を導く最も尊い神様」と言うこと
になります。




まず、神湊港より中津宮の鎮座まします「筑前大島」へ
渡りますが、そこは荒海・玄界灘
船は相当揺れます



宗像大社・中津宮
福岡県内最大の離島である筑前大島。夏場ならやはり海辺がにぎあうだろうけれど、真冬の
この時期、ましてや正月元旦・・・よほど物好きな観光客でないと、来る場所ではありませんネ。

この島は、七夕伝説発祥の地と云われ、七夕祭りは鎌倉時代から続く歴史があります。


宗像大社・沖津宮遥拝所
筑前大島の南側にある中津宮から、島の反対側・・・北側へ低い山?を越えると、海の先に
微かに見える沖津宮の遥拝所があります。往復3`ほどのウォーキングです。

玄界灘の孤島、洋上60Km、周囲4kmの沖の島へは、年に一度・選ばれた人のみ渡る事が
出来ますが、いまだに女人禁制です。沖津宮の年に一度の神事の模様はココをクリック

また、宗像大社の秋季大祭・「みあれ祭」、一度は目にしたいお祭です。


島の高台、大島港を見下ろす小高い場所に「安倍宗任」の墓所がありました。
安倍 宗任は、平安時代中期の武将で、陸奥国の俘囚の長とされる豪族、安倍氏の安倍頼時の子です。
鳥海柵の主で、鳥海三郎とも呼ばれていました。
子孫の松浦高俊は、平清盛の側近で平家方の水軍として活躍し、その為、治承・寿永の乱により、現在の
山口県長門市油谷に流罪となりました。その後、高俊の娘が平知貞に嫁ぎ、源氏の迫害から逃れる為に
安倍姓を名乗ります。その子孫とされる著名人に政治家の
安倍晋太郎安倍晋三(元首相)親子がいます。
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宗像大社・辺津宮
冬の日没は早い・・・大島から戻って辺津宮に着く頃には夕闇が迫っておりました。



後書
福岡のお宮では、「福みくじ」というのがあるのですよ、
櫛田神社も中津宮も、最後の辺津宮にもありました。
金、五百円也を払って籤を引きます。
櫛田神社で運試しをやってみましたところ、
なんと大当たり・・・
景品はカップヌードル20個入りカートン・・・
でかい箱でした、バスまで担いで・・・

『今年の運を使い果たしたか〜』なんて揶揄られましたが
ここは、『こいつは春から縁起がイイわい』と、喜んでおくことに致しました。