澤熊講師と行く2009年11月25〜27日

シリーズ・歴史ハイク
国東の六郷満山を歩


国東半島の中央に位置する標高721mの両子山。
そこから放射状に海へと下がる28の谷が、半島に刻まれています。
大昔、谷には村ができ、来縄、田染、伊美、国東、武蔵、安岐という
名が付けられました。
この村を中心に発展した山岳仏教が六郷満山文化と呼ばれています。
そのうちの4つの郷が国東市にあり、六郷の中核を成していました。 


地図はクリックすると、大きくなりますョ









両子寺
両子山の中腹に両子寺があります。六郷満山の中では中山本寺、すなわち山岳修行の根本道場に当たり、
特に江戸期より六郷満山の総持院として全山を統括してきました。しかしながら時代の趨勢、明治初頭の神
仏分離、第二次世界大戦等の法難、自然災害・人為災難等の遭遇により 次第に堂宇は往時の姿を薄れて
かけて来ましたが、歴代住職の懸命な精進と 檀信徒の護持によりわずかながらも、面目を保ちつつ 今日に
至っています。




両子寺の七不思議



両子寺・峰入り
0奈良時代から平安時代にかけて、仏教(天台宗)に宇佐八幡の八幡信仰(神道)を
 取り入れた「六郷満山」と呼ばれる仏教文化が形成され、山岳地域の険しい山道を
 歩く「峰入り」と呼ばれる難行が行われるように
0なりました。

我々もチョッと其の真似事を・・・両子寺の裏山に分け入り『峰入り』を体験しました。



文殊仙寺
文殊山(617m)の東北側の中腹にある古刹。山号の峨眉山は文殊山の別名です。日本三文殊のひとつに
数えられ三人寄れば文殊の知恵の発祥の地とされている(ただし、一般に東日本では、山形県高畠町の
亀岡文殊奈良県桜井市の安倍文殊院京都府宮津市の智恩寺を日本三文殊とし近畿地方では亀岡文殊
のかわりに高知県高知市の竹林寺が入り九州中国地方では大分県国東町の豊後の文殊を入れる)。
大化4年(648年)に、中国の五台山から迎えた文殊菩薩を本尊とし、役行者により創建されたとされ、六郷
満山の末山本寺として江戸時代には杵築藩主松平公の祈願所として栄えました。


国東塔
国東塔は、大分県国東半島を中心に分布する宝塔の一種で、一般の宝塔が台座を有さないのに対して、
国東塔は基礎と塔身の間に反花または蓮華座、ものによっては双方からなる台座を有するのが外観上の
最大の特徴です。
鎌倉時代後期の弘安6年(1283年)の銘がある岩戸寺の国東塔が在銘最古のものであり、以降、南北朝、
室町時代を経て、江戸時代に至るまでの様々な時代の国東塔が確認されています。
国東塔という名は、京都帝国大学の天沼俊一が1912年(明治45年)に富貴寺大堂の修理に国東半島を
訪れた際に、一帯に特異な形式の宝塔が分布していることを知り、地名に因んで名づけたものです。







岩戸寺
寺の裏手にある高さ約3.3mの国東塔は、国の重要文化財に指定されている。弘安6年(1283年)の
銘があり、国東半島にある国東塔の中で最古と言われています。



昼食
珍しい物を頂ました。『銀たちの郷』にて、太刀魚の蒲焼風






元宮磨崖仏
田染真中の県道655号線そばにある元宮八幡の境内北側の岩壁にある元宮磨崖仏で、
高さ3m、幅6mほどの 仏龕(ぶつがん:岸壁を堀り空けて仏像を安置したもの)をもうけ、
向って右から @毘沙門天 A矜羯羅童子 B不動明王 C持国天 D地蔵菩薩の五躯の5
立像が薄肉彫されています。
制作年代は室町時代(1394〜1573)後期と推定されており、“地蔵菩薩の五躯”は後の時
代の追刻であろうといわれています。昭和30年には国指定史跡となっている。


真木大堂
仁聞菩薩によって養老年間(717〜23)の開基といわれています。宇佐神宮の境外寺院として
建てられもので、六郷満山中山本寺のひとつで伝乗寺といっていたようです。36坊の霊場を
有した国東最大の寺院であったが約700年前に火災のため焼失しました。
現在は、江戸時代に再建された小さな大堂と収納庫が建っているのみであるが、収納庫には
藤原時代の九体の仏像が安置されています。その中の阿弥陀如来座像と四天王立像は重要
文化財となっています。





2009/11/26 国東・岩戸寺にて