澤熊講師と行く2009年11月23日

シリーズ・歴史ハイク
津山城
(衆楽園)岡山城(後楽園)

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聚楽園
衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。
元禄11年(1698)に松平家が藩主となって以後幕末までは、家臣や他藩・他家からの使者を謁見
するための「御対面所」、または藩主の隠居所の庭園として使われ、明治3年(1870)に「衆楽園」
として命名されました。
池は中島と中島にかかる橋によって、大まかに三つの水面に分かれており、北の池は東と北から
築山が迫るなど、深みのある物静かな景観を作り出しています。



津山城
美作一国18万6,500石を領して入封した初代津山藩主・森忠政が、鶴山に築いた平山城です。
 忠政は、慶長8年(1603)の入封当初は、美作国院庄に入りますが、領国支配拠点としての
適地を探し求めた結果、美作中央部にあって古くから開けていた津山盆地のほぼ中心に位置
する鶴山の地を選びました。
ここには、すでに嘉吉年間(1441〜44)山名忠政が城を構えており、当時は山上に鶴山八幡宮
南の山腹に日蓮宗妙法院があり、西の山腹には八子町の集落がありましたが、これらを周辺
に移転したうえで、翌慶長9年(1604)春、鶴山を 「津山」 と改め、築城に着手し、12年後の
元和2年(1616)3月に一応の完成を見ました。

天守曲輪は本丸の西端に寄せられていますが、これは、本丸東端に一段高く築かれた
石垣とともに、宮川をはさんで鶴山の東方にある丹後山を意識した構えと思われます。





昼食は、津山城下の津山観光センター





午後は南下して岡山へ向かいます。





岡山城
慶長2年(1597)、豊臣五大老の一人・宇喜多秀家が築城した岡山城。
三重六階の堂々たる天守閣は織田信長の安土城天主閣を模して築かれたと伝えられ、全国的にも
珍しい不等辺五角形の天守台をしています。
宇喜多秀家が築いた天守閣は、石垣からの高さが20.45メートル、2階建ての建物を大中小3つ重ね
た3層6階の構造をしています。内部には、城主が生活をしていた「城主の間」があって、天守閣として
は全国的にも珍しい設備でした。惜しくも天守閣は昭和20年に空襲で消失してしまい、現在の天守閣
は昭和41年に復元されたものです


後楽園

 江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された、元禄文化を代表する庭園で、
1687年(貞享4年)に着工し14年の歳月をかけ1700年(元禄13年)に完成しました。
岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置します。
主が賓客をもてなした建物・延養亭を中心とした池泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の
山を借景としています。江戸時代には延養亭を茶屋屋敷、庭園を後園または御後園と呼
んでいましたが1871年(明治4年)、園内を一般開放するにあたって、これを後楽園と改名。