2010年1月27日
全八回シリーズの第C回目


   

豊川稲荷
豊川稲荷は、愛知県の豊川町にある曹洞宗の寺院で、「稲荷」と称するが神社ではなく寺院です。正式の寺号は妙厳寺、詳しくは円福山 豊川閣 妙厳寺です。
ご本尊は千手観音で、「稲荷」は鎮守として祀られる荼枳尼天(だきにてん)のことです。
日本三大稲荷の1つとされ、ただし三大稲荷の定義には諸説ありますが他の2社は伏見稲荷大社、祐徳稲荷神社または笠間稲荷神社、または千代保稲荷神社と考える稲荷神社が多いです。
ここ豊川稲荷では他の2箇所を伏見稲荷大社、祐徳稲荷神社としています。




姫街道
シリーズは東海道ですが、御油宿から見付宿までの
脇街道・姫街道を、三ケ日から気賀まで歩きました。




姫街道は、東海道見附宿と御油宿を結ぶ東海道の脇街道。浜名湖の北側、本坂峠を越える道で、本坂道、本坂街道、本坂通りとも言います。姫街道と呼ばれるようになったのは幕末からで、名称の由来は、女性が多く利用したためとも、古いという意味の「ひね」の街道から変化したものともいわれています。さらに前者の場合、東海道新居関所の厳しい取締まりを嫌ったからという説、東海道舞阪宿・新居宿間の今切の渡しの今切を不吉として避けたという説などがありますが、ただ、実際に姫様の通行があったことは間違いない。他に徳川吉宗の時代には、象が通行したという記録が残っています。



気賀の関所の厳しい取締りの為、近くに住むむ人たちでさえ関所を通る時は
通行手形が必要でした。住民にとってはたいへん不便だったので、領主は
関所の裏道をつくりました、道の途中にむしろを垂らし、人間は通れないが、
犬がくぐるのは差し支えないと云う、法の抜け道でした。



気賀関所跡
気賀関所は慶長6年(1601)に徳川家康によって創設されました。東側に冠木門、この門を入り正面北側に本番所、相対する南側に牢屋のある向番所、さらにその南に遠見番所があります。
江戸時代の関所は、幕府のある江戸の防備のために設置されました。いわゆる「入り鉄砲に出女」と言われるように、鉄砲が江戸に持ち込まれることや、人質として住まわせている大名の妻子などが国元に逃げ帰るのを防ぐために、このような関所か造られたのです。(平成2年に復元されたものです)





1日目は、これにて終了です。
今宵の宿は、浜松駅前の名鉄ホテル



次は浜松城