2010年1月12〜14日

シリーズ・城めぐり
琉球王国の歴史を歩く
日本のお城めぐりも回を重ねて、今回は沖縄まで足を伸ばすことになりました。



このページは、斎場御嶽と玉城・城跡
中城・座喜味城・今帰仁城は、次ページに有り




お昼過ぎに 那覇空港に着いて、バスに飛び乗り 「おきなわワールド」にて
神戸空港組みと合流。今回は75名の大所帯、
「斎場御嶽」に向かいます。
沖縄の言葉は難しい・・・漢字の読みに苦労しそうです。

琉球王国最高の聖地
斎場御嶽
(せーふぁ.うたき)

「古事記」や「日本書紀」の冒頭部分にある宇宙や世界の始まりを語る神話を「開闢神話」と呼ぶそうですが、琉球王国(沖縄)においても琉球開闢という創生神話が伝わり、語り継がれています。

沖縄で御嶽(
うたき)とは神が降臨し鎮座する聖域のことを指し、琉球開闢のなかでこの国が七つの御嶽から出来上がったと伝えられ、そのうちの1つがここ斎場御嶽で、七御嶽のなかでも琉球王国最高の聖地とされています。 斎場御嶽は聖域として近年まで男子禁制でした。2000年12月に世界遺産として登録されてからは沖縄外からも、より注目されるようになりました。





玉城・城跡
(たまぐすく・じょうせき)
玉城城跡は、琉球を創生したと言い伝えられる神アマミキヨが築き、子孫の天孫氏が城主であったと言われています。
後に13〜14世紀頃には、玉城按司(あじ:領主的豪族)が居城として城を守り修築拡大をおこなったと伝えられています。王府時代から現在に至るまで「東御廻い(アガリウマーイ)」の霊地として参拝者が絶えません。急な坂道を登ると自然石をくり抜いてつくられた円形の城門があり、そこからの眺めは絶景です。





ステーキハウスで夕食
( サムズマウイ久茂地店 )






宿は「那覇新都心」の「ホテル法華クラブ」です

那覇新都心は、沖縄県那覇市の北部に位置する再開発地区のこと。1987年(昭和62年)5月に全面返還された米軍牧港住宅地区の跡地を造成したもので、大型ショッピングセンターや総合運動公園などが設置されています。
さすが新都心と名付けるだけあって、綺麗な街です。夜はブラブラお買物を楽しめます。




沖縄1日目、無事終了です。


明日は又、忙しい一日になりそうです。
チョッと琉球王国のお勉強をしておきましょうか〜

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琉球王国とは、今から約570年前(1429)に成立し、約120年前(1879)までの間、約450年間にわたり、日本の南西諸島に存在した王制の国のことです。

北は奄美諸島から南は八重山列島までの琉球諸島には、約3万2千年前から人類が住んでいたことがわかっています。琉球諸島には、先史時代を経て、日本の鎌倉時代に当たる12世紀頃から一定の政治的勢力が現れはじめました。各地に「按司(あじ)」とよばれる豪族が現れ、彼らが互いに抗争と和解を繰り返しながら次第に整理・淘汰され、やがて1429年尚巴志(しょうはし)が主要な按司を統括し、はじめて統一権力を確立した。
これが尚(しょう)家を頂点とする琉球王国の始まりであります。

その後、琉球では独自の国家的な一体化が進み、中国をはじめ日本、朝鮮、東南アジア諸国との外交・貿易を通して海洋王国へと発展し、首里城はその海洋王国の政治・経済・文化の中心でありました。

琉球王国の歴史の中では、一度だけ大きな政権交代があった。統一王朝が成立してから約40年後の1469年、伊是名島(いぜなじま)の農夫出身の金丸(かなまる)がクーデターにより政権を奪取し新王朝を開きます。しかし、金丸は前例に従い、また中国皇帝との関係にも配慮して尚王家を継承し、尚円王(しょうえんおう)と名乗ります。このため、琉球王国の歴史では、この政権交代以前の王朝を「第一尚氏王統」、それ以後を「第二尚氏王統」と呼んでいます。

さて、この第二尚氏王統は、初代国王尚円(しょうえん)から数えて19代目の国王の尚泰(しょうたい)時代まで(約400年)続きます。その間、1609年に日本の薩摩藩が3000名の軍勢をもって琉球に侵攻し首里城を占拠し、それ以後270年間にわたり琉球王国の表向きは中国の支配下にありながら、内実は薩摩と徳川幕府の従属国であるという微妙な国際関係の中で存続しています。しかし、やがて日本の明治維新により成立した日本政府は、1879年(明治12)軍隊を派遣し首里城から国王尚泰(しょうたい)を追放し沖縄県の設置を宣言します。ここにおいて、琉球王国は滅亡しました。




2日目・中城は、ページを改めます