澤熊講師と行く・2010年7月21〜22日


甲斐の武田へ、
信玄・勝頼を訪ねて




前回は上杉謙信の春日山城を訪れ、今回は、一方の雄・武田信玄の甲斐を訪れました。

  そう、風林火山です
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大阪から山梨県は遠い・・・途中昼食を挟んで6時間はかかります。
梅雨も明けたみたいです。まずは、

武田節
でも口ずさみながら・・・
急がず騒がす、のんびりバスの旅を満喫しましようか〜

なにッ、こんな歌…知らないッて、米山愛紫作詞・明本京静作曲の武田節ですョ
知らないお方は、YouTube で、探してみて

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0@甲斐の山々 陽に映えて われ出陣に うれいなし
0  おのおの馬は 飼いたるや
0  妻子につつが あらざるや〜 あらざるや〜
.
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A祖霊まします この山河 敵にふませて なるものか 
0  人は石垣 人は城 
0  情けは味方 仇は敵〜 仇は敵〜

   《詩吟》
   疾如風(ときことかぜのごとく)
   徐如林(しずかなることはやしのごとく)
   侵掠如火(しんりゃくすることひのごとく)
   不動如山(うごかざることやまのごとし)


0Bつつじケ崎の 月さやか うたげを尽くせ 明日よりは0
0  各々京を 目指しつつ 
0  雲と興れや 武田武士〜 武田武士〜
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バスは無事に山梨県に入りました、お天気も上々で、
歌の通り 甲斐の山々は、陽に映えておりましたョ。




甲斐への第一歩は、新府城 からです
〔山梨県韮崎市〕
長篠・設楽ヶ原合戦で大敗した武田勝頼は、侵攻にそなえ、甲斐府中・躑躅ヶ崎から
ここ、要害の効く韮崎へ 新城を築きました。


甲斐古府中から新府中へ・・・新府城の名の由来が何となく納得です。
                  〔
新府中韮崎

  日本各地に府中と付く地名が残っていますが、もともと府中とは、令制国の国庁(地方官庁)を中心
  とした国府(都市)です。ただし、府中の中には、守護所(鎌倉時代・室町時代の守護または守護代
  が統治の本拠とした場所)が置かれたことに由来するものもあります。


織田勢に攻められわずか68日で勝頼自らが火を放った悲運の城です。
釜無川を直下に見下ろす断崖の独立丘陵上に石垣を用いず、土塁と堀
により築城され、武田氏を代表する甲州流築城術の集大成となる城です。
上写真〔〕の碑は、高さ1.64メートル、横6.67メートル、厚さ0.36メートルで、
「甲斐国主武田氏四百年追悼の碑」?
碑は元市議が寄贈し、韮崎市文化財保護審議会会長(当時)による碑文
には武田家のいわれが書かれているらしい。
その内容を、韮崎市に問い合わせ中なるも、いまだ返答なしです。


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