2010年9月14〜16日

東北の五大名城を訪ねて
2泊3日の旅


鹽竈神社〜志波彦神社〜多賀城跡〜青葉城(仙台城跡)




鹽竈神社
古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、朝廷を始め庶民の崇敬を集めています。
平安時代初期、嵯峨天皇の御代に編纂された「弘仁式」に「鹽竈神を祭る料壱万束」と記され、厚い祭祀料を授かっていたことが知られます。つまり、奈良時代国府と鎮守府を兼ねた
多賀城 が 当神社の西南5km余の小高い丘に設けられ、その 精神的支えとなって信仰されたと考えられます。

↑ 『トラのいきおい御守』 景気の良いお守りですネ
これで、我が阪神タイガースも勢いづくのではないかと


鹽竈神社の隣に、寄り添うように建っている志波彦神社
元々は東山道より多賀城に至る交通の要所宮城郡岩切村(現仙台市宮城野区岩切)の冠川の辺(現八坂神社境内)に鎮座しておりましたが、中世以降衰微の一途を辿り境内も狭隘だったため、明治4年の国幣中社列格の際に社殿造営の事が検討され、明治7年この地を離れ鹽竈神社別宮に遷座され、この際の御祭文に後日鹽竈神社境内に社殿を造営する旨が奏上されました。

鹽竈神社・志波彦神社の眼下には塩釜湾(千賀ノ浦)が・・・




多賀城跡
宮城県多賀城市 市川 字 城前に位置し、国府・鎮守府などがあった処で、国の特別史跡に指定されていますが、城の面影は何も残っていません。
畿内の大和朝廷が蝦夷を制圧するため、軍事的拠点として蝦夷との境界となっていた松島丘陵の南東部分である塩釜丘陵上に設置し、創建は724年(神亀元年) 按察使大野東人が築城したとされています。

多賀城南門近くにある小さな堂の中に多賀城碑があります。
碑は、高さ196cm、最大幅92cmの砂岩で、碑面をほぼ真西に向け立てられています。
碑面には141字の文字が彫り込まれています。中央上部に「西」の一字があり、その下には140字が11行に配されています。
碑文は、前半には京(=奈良の平城京)、蝦夷国(=東北地方北半)、常陸国(=茨城県)下野国(=栃木県)、靺鞨国(=中国東北部)から多賀城までの距離が記されています。
後半には、多賀城が神亀元年(724)大野朝臣東人によって設置されたこと、天平宝字6年(762)藤原恵美朝臣朝カリによって改修されたことが記されています。
また、最後に天平宝字6年12月1日と碑の建立年月日が刻まれています。
この碑は「
壺碑」とも呼ばれ、江戸時代初めの発見当初から歌枕「壺碑」と結びついて広く世に知られていました。




雅称「青葉城」の仙台城跡
ご存知・伊達政宗が築造した城ですが、明治初期から大正にかけてその大半が失われました。数少ない遺構であった大手門、脇櫓、巽門は国宝(旧国宝)に指定されていましたが、先の大戦時の仙台空襲により焼失し、僅かに残る石垣と政宗公の銅像が寂しげに残っているだけ・・・
でも口ずさみながら、青葉城を散策してみましょうか



青葉城資料展示館
伊達政宗公の生涯や仙台藩関連の資料を中心に紹介され、
ほかに城の全景や大手門、大広間などの復原模型の展示や、
仙台城を美しいCGで再現した「CGシアター」は、一見の価値あり
です。





宮城県護国神社
青葉山の仙台城(青葉城)本丸跡に創建された神社です。


1日目の宿は、仙台駅前の・・・



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東北2日目は、宮城県から山形県に場所を移し、
山寺(立石寺)から