澤熊講師と歩く
〔最終回〕
2008年5月10〜11日
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〔1日目〕大阪茶屋町7:30発湾岸阪和道=紀ノ川=道の駅「牛馬童子」
発心門王子 水呑王子 伏拝王子 祓戸王子 熊野本宮・特別参拝 大斎原
新宮・ユーアイホテル〔宿泊〕
〔2日目〕 新宮 那智の滝那智大社大門坂多富気王子市野々王子
尼将軍供養塚補陀洛山寺浜の宮王子 新宮・丸新〔昼食〕 = 熊野速玉大社
                       
2006年7月から熊野古道を歩いてみようと発心して
・・・1年と10ケ月・・・一応今回がその区切りです。
大阪天満の八軒家から紀伊路・中辺路19回、
伊勢路9回、小辺路6回、熊野川の船下りも含めて
特別企画8回…合計42回…
夫婦揃って完歩出来た喜びを噛みしめる事の出来る
最終回です。


でも雨です…降水確率100%の雨…徹底的に雨ですが、
本日のコース・道幅が比較的広いので傘をさす事が出来ます。
  
『道幅の狭い山道では、傘をさしてのウォークは、土砂降りでも許されないのですす』  

1日目
01


1日目のスタートは発心門王子から・・・

熊野古道沿いに残る「熊野九十九王子」の中で格式の高い
「五体王子」の一つが、この発心門王子です。



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水呑王子

 平安末期の藤原宗忠参詣記に「内水飲王子新王子」と記載があり、
もとは「内水飲」といわれ、
 中辺路町高原の熊野道に古くから参詣人の宿になっている「
水飲
という場所と区別する為に…それよりも
 本宮に近いこの地を「
内水飲」と呼んだといわれています。

04


 伏拝王子
 熊野古道をここまで来て初めて遠くに熊野本宮大社(現在の大斎原)が見え、
 人々がその有難さに伏して拝んだことから、この地名が生まれたとか


和泉式部がこの地に差し掛かったとき、月のものの障りがあり参詣を躊躇したが
夜、熊野の神様が夢に現れ、参詣することを許されたとする伝説があります。
♪、晴れやらぬ 身に浮き雲のたなびきて、月のさはりとなるぞ悲しき
(和泉式部)
その夜、式部の夢に熊野権現が現われて
♪、もろともに 塵にまじはる神なれば 月のさわりも なにか くるしき
(熊野権現)


伏拝王子のすぐそばに、
NHK朝の連続ドラマ「ほんまもん」の舞台となったロケ地があります。
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九鬼ケ口関所跡
中辺路と小辺路の分岐点。かつては、ここに茶屋と関所がありました。
昔の面影をとどめる石碑が残っています。


 天気予報…当たってます。雨降ってます。
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祓戸王子
他の王子とは異なり、熊野本宮へ参拝する直前、旅の塵を落し、
身繕いを正すための場所でありました。

♪、咲きにほふ 花のけしきを見るからに 神のこころぞ そらにしらるゝ
(白河上皇)

 
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 熊野本宮・拝殿
 紀伊路・中辺路の完歩を熊野権現に報告の為の特別参拝・・・
同行48名・御祓いも受けました。



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熊野本宮大社
川を渡り、山を登り、山を下り、また山を登り、ひたすら歩く。
熊野への道は現在整備がされたとはいえ大変な道です。
ましてや都の貴族たちにとって本当に難行苦行の道であった事でしょう。
実際、
藤原定家の日記『後鳥羽院熊野御幸記』には
泣き言ばかりが書かれています。
しかし、難行苦行の道のりを歩くからこそ、熊野本宮にたどり着いたときの感激があり、その感激から熊野権現の霊験が生じたのでしょう。泣き言ばかりの藤原定家も本宮にたどり着いた時は
感涙禁じがたしと感激を顕わにしています。

 今日の雨はやみそうもない・・・マダ降ってます。
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大斎原(おおゆのはら)
明治22年の大洪水まで鎮座した熊野本宮大社の旧社地です。
熊野信仰の発祥の地で、現在、中・下四社を祀っています。
水害時まで熊野本宮大社は熊野川音無川岩田川の3つの川の合流点にある
大斎原と呼ばれる中洲にありました。

♪、はるばると さかしき峯を 分過(わけすぎ)て 音なし川を けふ見つるかな
(後鳥羽院)
音無川は熊野本宮のそばで熊野川に合流する川。明治22年(1889年)8月の
水害時まで本宮は熊野川と音無川の合流点にある中州にありました。
精進潔斎を眼目としていた熊野詣において、音無川は本宮に臨む最後の垢離場
にあたりました。


 新宮に詣づとて(後鳥羽上皇)熊野川にて( 新古今和歌集・巻第十九 1908)
 ♪、くまの川 くだす早瀬の みなれ棹 さすが見なれぬ 波の通ひ路
「さす」は「棹」の縁語。「みなれ」は「水馴れ」と「見馴れ」の掛言葉。
   隠岐での除棄歌です。




いにしえの貴族達の熊野詣は、当時の都.京都から船で淀川を下り、
大阪の天満八軒家に上陸後、紀伊路・中辺路を経て熊野本宮(
大斎原)に詣で、
以後・熊野川を船で下り、新宮の速玉大社に詣でるルートでした。 
 

『熊野御幸記』では
10月16日
伏拝王子から熊野本宮をながめ、感激する。
後鳥羽上皇の到着を待ち、昼前に熊野本宮に参詣。翌日もここにとどまる。
10月18日
船で熊野川を下り、熊野速玉大社(新宮)に参詣する。
後鳥羽上皇も、熊野川を船で下って新宮の速玉大社へ至ったとありますが
本日の我々は、新宮までバスで移動します。

船下りは、2007年の9月22日に体験済みでございます。



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(新宮)神倉神社
熊野速玉大社の摂社で、市街地北西部の神倉山の山腹・標高80メートルほどの
場所にあり、境内外縁は断崖絶壁になっています。
山上へは、源頼朝が寄進したと伝えられる、急勾配の鎌倉積み石段538段を登ら
なければなりません。
神倉山の峻崖は、日本書紀にある神武天皇が登った天磐盾(あめのいわたて)
あると伝えられ、山上の巨岩ゴトビキ岩を神の依り代と仰ぐ原始信仰であり、更に
熊野三所大神(早玉、結、家津美御子)が天降り給うた霊所でもありました。


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1日目の予定(発心門王子→熊野本宮大社→大斎原→神倉神社)は、
滞りなく終了しました。
今夜の宿は、
熊野古道シリーズの定宿・新宮のユーアイホテルでございます。



2日目は那智の滝からのスタートです。



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