第B回
2009年7月5日


[行程]・(8)弘誓寺→(9)天徳寺→(瓜割の滝)→昼食(松風)
    →若狭国分寺→萬徳寺寺→(16)神宮寺→鵜ノ瀬



第8番・弘誓寺



第9番・天徳寺


瓜割の滝


昼食(松風)


若狭国分寺


萬徳寺


若狭神宮寺


鵜ノ瀬


この若狭観音めぐりのシリーズ( 8回 )では、出来るだけ
写真のみのホームページを・と、心がけております…が

「お水送り」の神事が行なわれる福井県小浜市下根来.鵜の瀬は、良辧和尚の誕生の地です。
伝説によると、良辧和尚は幼少の頃、野良作業の母が目を離した隙に 鷲にさらわれて、奈良の
二月堂前の杉の木に引っかかっているのを義淵に助けられ、僧として育てられました。
後に全国を探し歩いた母と30年後、再会したとされています。


若狭神宮寺のお水送りと、  
     奈良東大寺二月堂のお水送り

若狭は朝鮮語ワカソ(往き来)が訛って宛字した地名で、奈良も朝鮮語ナラ(都)が訛って
宛字されている。この地方が若狭の中心で白鳳以前からひらけ、この谷は上陸した半島
文化が大和(朝鮮語でナラともいう)へ運ばれた最も近い道であった。それは対馬海流に
のってきて着岸した若狭浦の古津から国府のある遠敷(おにふ=朝鮮語ウォンフ−「遠く
にやる」が訛った)や根来(ねごり=朝鮮語ネ
コ−リ「汝の古里」が訛った)と京都や奈良
が百キロほどの直線上にあることである。 この地方を拓き国造りした祖先が、遠敷明神
(若狭彦命)で、その発祥地が根来の白石で
都へ近道の起点に良地をえらび遠敷明神
の直孫和朝臣赤麿講が八世紀初め山岳信仰で、紀元前銅鐸をもった先住のナガ族の王
を金鈴に表し地主の長尾明神として山上に祀り、その下に神願寺を創建され、翌年勅願
寺となったその秋には、起源一世紀頃唐服を着て白馬に乗り影向し、すでに根来白石に
祀られていた遠敷明神を神願寺に迎え神仏両道の道場にされた。これが若狭神願寺の
起源で鎌倉時代初め若狭彦神社の別当寺となって神宮寺と改称したのである。
 又、神願寺の開山赤麿(和氏)公は白石の長者の神童(幼児)を大和に伴い、当寺の僧、
義淵僧正
大樹に託され東大寺開山良弁僧正になられ神願寺へ渡来した印度僧
実忠和尚が良弁僧正を助けて東大寺を完成し、さらに二月堂を建て、お水送り行法を始
められた。
その若狭井の水源が白石の鵜の瀬であるから
白石神社で行ったのを伝え根来八幡宮
では毎年三月二日
山八神事を行い同日夜神宮寺から神人と寺僧で鵜の瀬へお水送
り神事がある。        
                         神宮寺の由来書より






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02009年7月5日若狭の観音霊場めぐりの三回目
0妻は欠席で、
0今回は私1人での参加でございました。

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理由は
です。
0若狭の観音さま・・・ゴメンなさい、
0妻に成り代わりまして、お詫び申し上げます。

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