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第E回
 2009年10月10日




蓮華寺
 蓮華寺は竜前区入口の右手の道を入ると、鉄板葺の小庵として静かなたたずまいを見せています。
この蓮華寺境内入口の薬師堂の本尊として祀られていた銅造薬師如来立像は、昭和43年蓮華寺の
北側に建てたコンクリート式宝形造りの収蔵庫に奉安され、いまは区長管理のもとに拝観も許されて
います。
像高50.9cm、両手首先を別鋳差しほぞつぎとするほか、本体部は一鋳で、後頭部の肉髻の低平な形、
地髪の僅かに波形を示す特色、温雅な目鼻だち、自然さを失わない衣文の意匠などに、鎌倉前半期の
特色がうかがわれますが、本像の背面には「若狭国一宮本地宝治二年戊申六月日」という銘が刻まれ
ています。
本像は、銘宝治2年(1248)から、この頃を代表する基準作として、また若狭における最古の金銅仏とし
て貴重です。本像は、若狭一の宮上社の本地物をして祀られていましたが、明治元年の神仏分離令に
伴ない、区が管理することとなり、初めて造像の年代も明らかとなりました。【小浜市のHPより】
                                             






若狭の一之宮は上社・下社の二社からなり、
上社若狭彦神社下社若狭姫神社といいます。
社伝では、二神は遠敷郡下根来村白石の里に示現し
たと云われていて、その姿は唐人のようであったと伝
えられています。

一宮とは、ある地域の中で 最も社格の高い とされる
神社のことで、一宮の選定基準を規定した文献資料
はないとされていますが、準公的な一種の社格として
機能しておりました。
一の宮の次に社格が高い神社を二の宮、さらにその
次を三宮のように呼びます。
「三の宮」で一番有名なのは神戸の「三宮」でしょうか




若狭彦神社
若狭彦神社は畳・敷物業の神ともされ、現在はインテリア関係者の信仰も集めています

コノ日はお祭でしたが・・・お昼の休息時間らしいですネ



若狭姫神社

下社・若狭姫神社は、養老5年(721年)2月10日に上社より分祀して創建された。延喜式神名帳では
「若狭比古神社二座」と書かれており、名神大社に列しています。上社が若狭国一宮、下社が二宮と
された。元々は上社が祭祀の中心でありましたが、室町時代ごろから下社に移ります。
現在もほとんどの祭事は下社・若狭姫神社で行われており、神職も下社にのみ常駐しています。



若狭姫神社は安産・育児に霊験があるとされ、境内には子種石と呼ばれる陰陽石や、
乳神様とよばれる大銀杏などがあります。


昼食の
若狭フィッシャーマンズ・ワーフ



腹具合も充実…お昼からは、主たる目的の若狭観音霊場めぐりです。




第12番・蓮性寺



第13番・松福寺



第14番・円通寺



第15番・松源寺

松源寺の門前には、梅田雲浜(うめだ うんぴん)の立派な銅像があります。
梅田雲浜は福井小浜に生まれ、父は小浜藩士。藩校の順造館に入り崎門学(きもんがく)を学び、
京都や江戸に遊学。26、7歳の頃、祖父の本姓の梅田を名乗ります。以後、大津で湖南塾を開き、
京都の望楠軒 講主となりました。海防に関する建書を 藩に送りますが、これが藩主酒井忠義の
忌諱にふれ、嘉永5年(1852)に士籍を削られた。ペリー来航後、尊王攘夷派の中心となり、日米
通商条約調印反対や、一橋慶喜を擁立、大老井伊直弼の排斥などを図りますが、安政の大獄
が始まると捕らえられ、江戸で取り調べ中に病死しました。
                                                 


箸のふるさと館
若狭は、全国の塗箸の80%以上を生産している所です。
展示・販売と塗箸を作ることができる体験コーナーもある箸のふるさと館へ立ち寄りました。
貝殻や卵殻を漆の中に埋め込んで、美しい海底の様を描き出す塗箸は若狭塗独自の技法です。
若狭塗は小浜藩の御用塗師「松浦三十郎」が支那漆器の一種存星をヒントに、海底の様子を
意匠化して考え出したのがはじまりと、聞きました。

 本来の予定は、コノ後、鯖街道の宿場町である熊川宿を歩く計画があったのですが、
往路の交通渋滞のため
予定が大幅に遅れ、それは叶わず他日に譲る事になりました。